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二本松家具の歴史

~二本松家具の今まで①~
二本松家具は300年の伝統をもつといわれています。
一説には、お城作りに携わった建築大工さんが調度品を手がけて、その技術がタンス作りに活かされてきたといわれております。
明治初期には家具作りが盛んになり、当組合員の中にも明治創業(明治2年田中家具店、明治24年鈴木木工所、明治43年江口家具店)と長く続いている家具屋さんがあります。昭和期に入り家具店も50店位になり、特に竹田町の坂街には20数店の店があったため、今でも家具の街といわれています。

又、終戦後、昭和20年初期に若宮に県立の補導所がつくられ、中学を卒業した人を入所させ、1年間木工家具の技術を教えて、市内、県内外と就職させました。
補導所は、職業訓練所、職業訓練校と名称は変わりましたが、家具作りを担う人材を多く輩出しました。
しかし、時の流れとともに、社会事情(多くの誘致企業の進出)や入校生の減少などで、昭和53年頃閉校しました。(この組合の塗装工場は当時の実習作業棟です。)

~二本松家具の今まで②~
二本松家具は衣装タンス(婚礼タンス等)、洋服タンス、茶タンス等、主に箱物という家具を作っています。
昭和30年頃までは、タンスの本体は杉、口板は欅・杉、引き出しは杉、又は桐を用いて作られ、大きな飾り金具を打ち付けるのが特長でした。タンス鍛冶といわれる鍛冶屋さんがありましたが後継者もなく、いなくなり、その後合板等を使って作る現在の様なタンスの作り方に変わってきました。
二本松の家具屋さんは小さな店が多く、大量生産には向かず職人さんが最初から仕上、金具付けまで一貫して担当しています。
一品作りという一つの家具を責任をもって良質堅牢な家具を作ることを職人さんは誇りとしました。

当然高度な技術が必要で何年も経験を積み、工場の方で用意する道具もありますが、鋸鉋のみ等の刃物は個人個人が買い、大事に使用しています。
一言で鉋といっても十数種類以上の鉋を必要とします。

~二本松箪笥(タンス)の出来るまで・タンスの名称~